日本医学放射線学会の正式な子学会である断層映像研究会の大会長の話は10年以上まえから頂いていた。当時は若輩かつ専任講師の身分にて教授を差し置いてとの躊躇いも在った。当時は学会・研究会の会長は教授が務めるものであり、これ以外の先生が選出された場合の師事する教授との摩擦は大変なものがあった。医局に某学会の事務局があった時にも同様な事が生じ、此の収拾に重鎮らが奔走していたのを目の当たりにした事を思い出す。
しかし時代は大きく変わり、阿部修先生はディレクターになって下さり、原留先生は準備委員長になって下さった。
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(会場まえのロビーにて、当会を長きに亘り支え続けてきたコニカさんとミニ盆栽) |
次に開催財務に窮した。産官学連携からの寄付が以前のようには得られなくなっていたからであった。そこで出張先の給与3年間を開催準備資金とした。事務局は研究会HP作成補助金・研究会補助金・特別開催援助金と増額支援して下さった。座長・演者には本会が学術大会である事もあって無報酬での講演となった。
開催日は、他学会の開催日を避け、定例の秋は10月の金曜日の昼から土曜日とした。
開催曜日を金・土曜日としたのは、多忙のなか先生方が遠方から集まりやすく一泊で
済み、閉会後の日曜日を有意義に過ごせるようにとの長年の主旨からである。
開催場所は、交通の便が良い都心は新宿野村ビルの48階で開催した。
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(受付、他大学・医療施設の先生および医局員がOBも含めて担当して下さり-----) |
参加者は総勢138名である。例年に比べ、歴任の大会長、他科の先生方が多かった。
医用工学関係の演題を設けたが装置関係者の参加者・支援は激減した。時世とはいえ今後の開催に利益相反・医療倫理を更に考慮すべきと考える。
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(歴任の大会長を事務局の本田憲業先生と阿部修先生とで囲んで) |
プログラムの構成は、ここ数年来の各部位ごとのセッションを頭部から順に足側に配列する慣例を継続した。また小児から超高齢者までの代表的・社会的問題を含めた内容
として頂いた。
当会のテーマは「診断から治療」に関して各学系からの講演をお願いした。企画は複雑多岐であったが、各座長・演者は各科からの提言に留まらず最新画像を提示し、更なる未来の画像診断を提言しては前後のセッションに関連付けて下さった。好評を得たは此処にありと皆々様に深く感謝を申し上げます。
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(運営要員は早朝に集合、遠方からも馳せ参じ何役も兼任して頂き-----) |
此れからの画像診断は、「高齢社会」、「健診・人間ドック」、「Ai:死亡時画像診断」を包括する大きな主題で、2日目の午後に企画させて頂いた。死因として多い悪性腫瘍・循環器系の画像診断を、患者さんに優しい診療はこの代表的モダリティであるCIの発展を、「CBCT」、「ランチョンセミナー」、「PET」などに網羅して講演して下さった。
Ai(死亡時画像診断)に於いては、画像読影報告をシナリオにする意義を痛感させられた。来年のテーマ「多種多様な画像所見から究めるcommon disease」に繋がるかなと思われた。
締めは「医用工学からの一言」にて、未来の画像診断学の指針を医用工学から見ての
提言を頂いた。
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(情報交換会。実のある会にと添えた黄橙色のピラカンス) |
情報交換会は、夜景(右下の写真)を楽しみながら、質素にさせて頂いた。
余興は、木遣りをバックミュージックに手品そして南京玉簾を一人で演じて頂いた花島久美さんの多芸は感動ましてや此の人柄に触れて頂けたと思っています。
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(左の写真:余興:知る人ぞ知る芸能一家の四代目、16歳で松旭斎すみえマジッシャンに師事など多芸。右の写真:情報交換会場からの夜景:阿部修先生が撮影・提供) |
参考資料:
木遣り:労働歌の一つ。1202年(建仁2年)に臨済宗の開祖は明菴栄西上人が建仁寺の建立に際し重いものを引き揚げる時に掛けさせた掛け声が時を経て歌となり江戸時代には鳶江戸風として広まった。
ミニ盆栽:二度曲げ斜幹が捩れ背負い黒松(解説は一度目の針金掛けで針金が木の幹に深く食い込んで売り物にならなくなって捨てられていた黒松を頂いて針金を外して4年この後に二度目の針金を掛けて極限まで幹を曲げ龍が振り向いた姿にして3年:第43回 断層映像研究会に展示した作品の題名は見返り龍)と黄橙色のピラカンス(歳は64の実を付け雪の下を添えた人生、緑に映えるピラカンスの黄橙に白き鉢は雪の下からのスミレ草は紫の色)
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